初出:山陰中央新報いわみ談話室

私のアトリエには小窓がある。このごろ、タヌキもキツネも庭を走り抜けることがないので、夜中が静かなあまりに何となく小窓を見て、そのままぼんやりする癖がついてしまった。
ふと思う。一度も絵をかくことをやめようと思わず、今、故郷で両親と暮らし、やはり描いていることが何だか不思議だと。

大学生の時、友人の明ちゃんが「めぐはどうして英文科に来たの?あなたは芸術方面に行かなくちゃ」と言い続けた。
明ちゃんは見とれるほどの美人なのに、時々たまげることを言う人だった。でも、いつの間にか私はその気になって、イラストレーション科に通い始めた。そこで画家の有賀忍先生と出会った。
「君の絵は日本一へたかもしれない。でもだれもまねできない君の独自のスタイルを持っているから、そのままで思う存分自由に描くといいよ。どんな場合もありったけの心を込めること」
有賀先生が私に言ってくださった言葉だ。ハハハ、へただよねえ、の後に続くほめ言葉がうれしくて喜んで描いてきたのだと思う。恩師の言葉は、ずっと私の心の中にある。
数年前、私は桜江町の今井美術館で個展を企画していただいた。山と川の透明感あふれる色彩を背に美しく立つその美術館に私の絵が並び、私の一生分の心が弾んだ。
会場が広いので、照れを捨てて昔の大きい絵も並べたのだけれど、およそ二十年分の絵の真ん中に立ったとき、ふいに元気をなくしてしまった。
長年ぶりに対面した私の絵は、怖いものなしにへたで、おおらかで、喜びにあふれていて、いい絵だと思った。そして、美術館に足を運んでくださった方々が、とても楽しそうにニコニコして見てくださる様子を見て、心からうれしいと思った。
ずっと同じ気持ちで描いてきたつもりでも、いつの間にか仕事の絵、仕事のための個展になっていたことを故郷での個展を通して思い知ることになった。アトリエを故郷に移そうと、そのとき私はきっぱりと思った。
友人の明ちゃんは三人の子どもの母になっていたけれど、三十代の若さで亡くなった。明ちゃんの夫から「明子のたんすの中に、めぐさんのカレンダーの絵が和紙に包んで全部大切にしまってありました。私たちにはめったなことで触らせませんでしたよ」と書かれた手紙が届いた。
ありがとうと言わなくちゃいけない人がいっぱいいる。忘れてはいけない人がいっぱいいる。二十一世紀になって、私はどんな出会いをしていくのだろう。
ゆっくりと歩こう。そうしなくっちゃ。そう思ってまた小窓を見てしまう。