初出:山陰中央新報いわみ談話室

 畑の桜の木が、今年もいっぱい花芽をつけて、いつごろ咲きましょうか、と風に相談しているように見える。
あぁ春。やっと春だ。

 この冬、天気予報が『大雪が降る』と告げるたびに新潟の被災地の人々のことが気になった。人生の後半にきて全てを失ったお年寄りの嗚咽の声が耳にこびりついていた。でも、不謹慎かもしれないけれど、人々の絶望の涙の奥に、かすかな希望の光と底力を感じたのは私だけではないはずだ。どうしてなのか…と思う。

今年の一月頃、大好きな画家、グランマ・モーゼスの展覧会が東京で開催された。残念ながら見に行けなかったけれど、久しぶりにモーゼスの画集を開いた。
モーゼスは七十歳で初個展をして百一歳で亡くなるまでの間に、千六百点もの絵を描いたアメリカの人気作家である。私はモーゼスの絵と同じくらい彼女の人柄が好きなのだけれど、彼女は個展会場に集まった大勢の人々の前で絵の話には全く触れず、ジャムの作り方を話したそうだ。『だって、おいしいジャムの話の方がみんなが喜んでくれると思ったからよ』とモーゼス。そんなエピソードを彼女の屈託のなさとしてとらえていたけれど、それが彼女自身の一番の誇りだったことにやっと気がついた。
生涯のほとんどを農業と酪農に費やし、厳しい自然と闘い、互いに助け合いながら衣食住の全てを自分たちで賄ってきた人生。画家としての名声を得ても、農村でのいつもの生活を何一つ変えなかったのは、そうやって生きてきた人間としての誇りが、画家としての意識よりも上回っていたからだと思った。ちょうど、うちの勝ち気だった祖母が、田んぼで米を作り、畑を耕し、苦難な時代にも一家を助け、支えたという誇りをずっとずっと持っていたように。

唐突に思い出した。私は先輩の女性によく聞いてみることがあり、それは『神様があなたの望む年齢に戻してあげると言ったら、何歳の時に戻りたい?』という質問。殆どの人が、四十歳の頃だと答えるのだ。一番大変だったけれど一番気力が充実していたと。祖母に同じ質問をしたら、『七十歳』と答えた。『七十から八十の頃が一番知恵が働いて身体も動いた。五十、六十はまだヒヨッコよ』と。特に男の四十なんてものは子どもで話にならんわねだと…。ニタリと笑った祖母の得意顔には参った。

被災地の人々の生きる力は、人と人が思い合い、助け合い、そして大地とともに生き抜いてきたという誇りに支えられているのかもしれない。
大切なことを教わった気がしている。
春風が、青い空とやさしい香りを一日も早く運んでくれるといいなと思う。
2005.3.15