初出:山陰中央新報いわみ談話室

 今年届いた年賀状を机に置きっぱなしにしていた。箱にしまう前にもう一度目を通しながら、今、二枚の年賀状を静かに見ている。

去年十一月に早々と届いたイギリスのディー先生からの年賀状。九十三歳になられたそうだ。二十五年前、銀座で初個展をした時に、私の絵を熱心に見ていた初老の外国人が何やら話しかけてきたけれど、本場の英語なんて解りゃしない。個展の最終日、その人が今度は日本人の友達を連れてやってきた。通訳の役目を仰せつかったらしい。

その外国の人はケンブリッジ大学の学長さんで、日本に講演に来ているのだと告げられた。あなたの色彩が好き、絵が楽しいとしきりに言われた。ディー先生とはそれ以来ずっと文通をしている。
ヨーロッパのナイーブアートの画集や絵はがきを送って下さるディー先生に、私は下手な英語の礼状の代わりにカレンダーを作ればカレンダーを、絵本を出せば絵本を送った。その度に詳しく感想を書いて返事を下さるのだ。
どうしてそんなに応援して下さるのかと質問をしたことがある。『好きだと感じた絵を描く人を応援するのは当たり前のこと』という返事だった。有名無名は関係なく、絵は自身の感性で見るものだと。
毎年届く早すぎる年賀状が、出し忘れないようにという用心深い気持ちなのかイギリスの習慣なのか解らないけれど、毎年それが届くたびに、あぁ、先生はお元気なんだと胸を撫で下ろしている。

もう一枚は東京在住の一度も会ったことのない人からのもので『佐々木さんの絵のカレンダーを毎年銀行から来るのが楽しみでしたが、ある年から来なくなりました。母を亡くしたことよりもっと悲しかったです』と書かれてある。『母を亡くしたことより』は冗談でも、それほど悲しいというその言葉に感謝。

さみしくなった。こんな嬉しい通信が来ると必ず見せていた父がいない。『ほぅ、そりゃぁ、良かったなぁ』と、どんな小さなことでも一緒に喜んでくれた父がいない。
父は一月五日に突然旅立った。大雪で入院中の父のところへ行かなかったその夜に。
ずっと前に、三日ほど父にご無沙汰したことがある。三日ぶりに病室をのぞくと『メグは地球におったんか?』というので思わず『ちょっと月まで行ってたんよ』と答えたことがある。あの日、妻と娘は地球にいるのかなと案じながら旅立ったのではないかと思い、号泣した。
でも、父の発病以来七年間、父と母が仲良く寄り添う姿をそばで見ながら絵を描けたことは私の生涯の誇りになった。
父の法名の中に『香樹』という文字を見つけた。その人はいなくなっても香りは残る、という意味だと聞いた。

人の心を温める日だまりのような言葉を父は持っていた。その言葉こそが父の香り。母と私の宝物だ。
久しぶりに描きかけの絵の前にいる。描かなくちゃ、父が残した魔法の言葉を心に入れて。
2006.1.31