初出:山陰中央新報いわみ談話室

夕食時にはたいがい母の話を聞く。母親の話は主語が抜けるから、すかさず「それ誰の話?」と問う。すると「カンが悪いねぇ。少しはカンを働かせて人の話を聞きんさいよ」と私を責める。そんなのあり〜?
ある夜、いつもの主語落ちの母の話から、思いがけず私の学生時代の話になった。初めての東京。お金が無くなってキャベツばかり食べていた時があったと話すと、「知らなかった、ショックだ」と言う。あの頃の学生はみんな同じ。私ひとりが惨めだなんて思わなかったのだけれど。

 究極に惨めだったのは卒業式に着る素敵な黒マントを大学から受け取るその日に「佐々木さんは単位をひとつ落としています。お気の毒ですが卒業出来ませんね」と言われた瞬間だ。めまいがした。どうしよ〜。父が卒業式に合わせて上京してくるというのに。

父は予定通り上京した。私を責めるわけでもなく、穏やかにそばにいてくれた。その日、友達から連絡があった。「メグ、お父さんがせっかく上京していらっしゃるんだし、一緒に卒業パーティーに来てよ。いいじゃない。私たち、気持はメグと一緒に卒業したから」と言ってくれた。サンシャインシティー最上階のレストランにフォークソングクラブの仲間10人が集まった。みんなが代わる代わる父のそばに座った。父は心から楽しそうだった。いい思い出になったとも話していた。出来の悪い娘でも、いい友達には恵まれたと思って嬉しかったのかな?

数日後私は父と一緒に江津に帰った。大学はやめて絵を勉強すると決めていた。私は暗記ものがひどく苦手。英文科には暗記ものはないと安心していたら米文学史が立ちはだかった。我が国の歴史さえまともに覚えられない私がよその国の歴史を覚えられるわけがなく、あと一年勉強したからと言って卒業出来るとはどうしても思えなかった。その気持をずっと伝え続けたけれど、父の返事はなかった。いよいよ翌日に再び上京するという時になって、父が重い口を開いた。
「やりだしたことを途中で簡単に投げ出すような中途半端なメグミには感心しないな」と言った。
父からお説教されたのは初めてだった。「はい、もう一年頑張ります」と思わず即答してしまった。私は大学に戻り、一方でイラストの学校に通った。その1年間は現在までの私の人生で「最も努力した1年」だと思っている。
ふ〜ん、父さんたらそんなことを言ったん?と母。夫婦でも知らないことはたくさんあるようで。

思えば父のそのひと言で私は今も絵を描いているのかもしれない。
絵、やめないもんね、父との約束だから。と言うか、こんな面白い仕事、ヤメラレマセーン。
2008.7月