初出:山陰中央新報いわみ談話室

 いつもの秋。ピンクのコスモスが畑いっぱいに咲き、裏山の栗の収穫が終わったところ。栗はイノシシのおこぼれをちょうだいしているようなものだけれど、今年も無事に母お手製の栗の渋皮煮を食べられて良かった。そのうちには干し柿が軒下に並ぶだろう。柿も、もしかしたらカラスのおこぼれかな?

 十月から今井美術館で童画展が始まっている。
大好きな江川沿いの景色を見ながら桜江町へ向かう時、今日はどんな人と会えるのだろうと思い、ワクワクしてくる。
幸い?私の童画展では展示室が満員になることはめったに無くて、いたって平和な空気なものだから、人がゆっくりと見て下さる。しまいにはそんなに見られると絵に穴があきますよ、と笑ってしまう。でも、男女問わず、年齢問わず、それこそ赤ちゃんからお年寄りまで来て下さることが私の自慢だ。中でも驚くのは『おじいちゃん』がずいぶん来て下さることだ。

『おじいちゃん』と言えば私にとって決して忘れられない人がいる。今、江津の大切な地場産業の石見瓦が不振で心配しているけれど、桃山瓦の創始者である室崎勝造さんのこと。
二十四歳の夏。私一人で留守番をしていた時のことだ。黒塗りの大きな車が止まって、体格のいいおじいさんが運転手さんに付き添われ、こちらに歩いてきた。『誰だろう?』と思った。

『あんたが、絵を描いとるめぐさんか?』『あんたの絵を見せてもらいにきたんだがのう』とおっしゃる。え〜?誰なん?と思いながら、その人の迫力とでもいうか威厳とでもいうか、それに押されて、離れの二階から畳一畳分の大きさの絵をせっせと持って降りたのだ。

私は、『ここがええわ』と言って縁側に座ったその人に、上がって下さいとも言わずにそこで絵を見せた。じっくりとものも言わずに老人は絵を眺めた。
『ほう〜、あんたすごくいい色彩感覚を持っとんさるな。今度一度家に遊びにいらっしゃい』と言って帰られた。その日、その話を聞いた両親が『そりゃあ、室崎さんかも、いや、室崎さんに違いない』とえらく慌てていたことが思い出される。

その後何度か訪問しているうちに『めぐさんや、わしに絵をひとつ売らんかね?』とおっしゃった。あろうことか私はそれを断った。『二度と同じ絵は描けないですし、私はカレンダーとか絵本の絵を描くことが仕事なので』と理由を言った。すると、『カレンダーは一年が終われば棄てられる。絵本も子どもが大きくなったら不要になる。多くの人が見てくれなくても、ひとりの人に絵を売れば、その人は一生その絵を大事にするよ。それもいいと思わんかね?』と言われた。生意気盛りの私の脳天がしびれた。ひとりの人のためだけにある絵もあっていいのだと素直に思った。それ以来、私は絵を売ることに抵抗を持たなくなった。忘れられない言葉となった。

閉館の時間になり、感想ノートなどを片付けていると、今までに出会った人達の顔が思い浮かび、胸がいっぱいになってしまう。
2007.10.23