初出:山陰中央新報いわみ談話室

 アトリエは仕事部屋ではあるけれど、私が毎日飽きずに部屋に入るのは、アトリエで『私のひととき』を過ごすことが好きだからだとおもう。
部屋の中央に私と長年を過ごした友がいる。それはロッキングチェアー。私の成人のお祝いに、以前からしつこくリクエストしていたそれを、両親が贈ってくれたのだ。

二十歳の若さで渋い一品を選んだものだと思うけれど、外国のテレビ番組の中で、おばあちゃんといえばそれに揺られて編み物をしていて、その椅子のいかにも楽しそうな感じに憧れていたのだと思う。繊細で美しい曲線を持つその椅子が『私の椅子』になった時の嬉しさは今でも忘れないし、ずっと大切にしてきた。
相棒にゆらゆら揺らしてもらいながらお茶を飲む。ぬくぬくのひと時だ。
そして、ぬくぬくの椅子のわきには絵の具や引っ掻き傷だらけの古い机があり、それを私はどうしても使ってしまう。結局、私の部屋の眺めは昔とまるで変わっていないのではないか。
私自身もまた子どもの頃までさかのぼったとしても、そんなに違いはないという気になる。
私は友達とよく遊び、それ以上にどこにでも絵を描いて遊んでいた子どもだった。現在の私も一日に一回絵を描く。またはそのことを考えることで一日を締めくくらなければ気が済まないのだから、昔も今も同じようなものだと思う。
落書き帳を買ってもらうと、心弾ませ食事をとることも忘れて絵を描いていた子どもの頃の延長線上で、ずっと描いていければいいな。
子どもは無心で描く。夢中で描く。うまく描こうなんて思わないし、第一楽しくて仕方ないのだ。そんな気持ちを私は半分持ち続けていると思う。残り半分は、気にすることを山ほど持った大人になってしまったのだ。
でも、馴染みの机と椅子を眺めているうちに、ずっと先もアトリエの中は同じ眺めかも、と思っておかしくなった。

変わらなくていいのかな。

そう自分につぶやいてみた。
外を見ると、いつの間にか夜が明けていて、晩秋の木々が朝日に照らされてキラキラしていた。
台所から両親の話し声が聞こえてきた。極端に早起きだなあと思いながら、パンを焼く美味しそうな匂いにつられて母屋に戻った。

もうひとつ、私にはぬくぬくの場所があった。ありがたいなあと思う。