初出:山陰中央新報いわみ談話室

 去年の十一月に愛犬のテツが十四歳の命を閉じた。
突然体調を崩し、介護をする時間もくれずに私の腕の中で息絶えた。大概のことではくじけない、わりかし強い私だけれど、二週間ひと時も涙が止まらなかったのは私の人生で初めてだった。
その喪失感は、依然辛く残ったままだけれど、母は午前中と夕方、私は深夜に働いていて、その忙しさに多少救われているような気がする。

 実は、八十歳過ぎた母に毎日の料理を任せている。こんなことを世間に公表すると『何とまあ、鬼のような』と言われそうで恐ろしいけれど、『頼りにしてま〜す』が最善の老化防止だと信じている。料理が大好きな母なのでその領域を侵したら悪いし?

もう一つの母の領域は庭仕事で、母は夜が明けると、待ってましたとばかりに庭の草むしりをする。草むしりをすると、とにかく気持がいいのだそうで、その領域はまだ私には分からない。
突然、色々と思いつき、電光石火の行動をする母に困ることも多い。その思いつきのひとつがアトリエ前にある睡蓮池だ。膝を手術して畑仕事を諦めた母が元々田んぼだったところを少し掘り下げて睡蓮池を作ったのが四、五年前。祖母に似て母もやることが豪快かもしれない。でもこれは母の思いつきの中では妙案だったと思う。睡蓮は強くて、どんどん増えるし、五月中旬から十月まで台風が来ようと大雨が降ろうとびくともせずに綺麗な花を咲かせ続ける。亀やメダカが住人となり、カラスが水浴びにやってきて楽しいし、何といっても手入れが楽そう!農作業を諦めざるをえず、それでも土地を荒らしたくないなあと悩んでいる方々にはオススメだ。

午前五時半。小鳥が鳴き始める。早朝の睡蓮池は夢のように美しくて、その時間になるとソワソワして仕事が手に付かなくなる。冷んやりとした心地よい空気を思いきり吸い込みながら池のまわりを歩く。それだけで私は充分に幸せな気持になれる。

『めぐみは仕事というと集中し過ぎる。思い切って京都にでもパッと行ってくるとか、そういう余裕を持たないとダメだわね』と注意をされてしまうけれど、とりたててストレスを感じないのは、たぶん、花や木々のお陰だと思う。だから感謝している。

木や花には思い出がいっぱい。苗木を会社に売りに来る人がいて、一度として断ることが出来なかった父が持ち帰っては母に託した。どれもずいぶん大きく育ち、庭と畑の殆どを占めている。楓、牡丹桜、桃、アンズ、ざくろ、プルーンなど数えきれない。
今も母は庭に花が咲く度に父に話しかけている。『見てみて、お父さん、綺麗でしょ』と。

テツのお墓に植えてもらったハナミズキ。あの日、名残惜しそうに庭を眺めていたテツへのプレゼントだ。小さな苗木から透き通った葉っぱがいっぱい出て、初夏の風に揺れていた。
テツの命…。

母と同じように『テツ、また会えたね』と話しかけている私がいた。

2007.5.16