初出:山陰中央新報いわみ談話室

私は童画家という看板を掲げて暮らしている。少しきざな言い方になるけれど、アーティストとしての心の持ち方は難しく、自分の作品に誇りを持たなければ人前にさらせないし、かと言って、うぬぼれてはいけないので、時々厳しさの中に作品を投げ込むことで、自分を叱咤激励するしかないと思っている。

そんな意味で、個展は大切な仕事だけれど、一方で私は時々絵のコンペに応募している。中でも募集テーマが面白そうだと感じた外国主催のコンペには積極的に参加してきた。落選したコンペについては、ドサッと横に置いておくことにして、今回は入選した外国コンペについて紹介したい。
イタリアとドイツの記念コンペと、テヘラン児童図書国際ビエンナーレ(TIBI展)に応募したとき「入選したら現地へ行こう」と思い、パスポートや旅行グッズをちゃんと用意して返事を待った。トラヌタヌキノカワザンヨウ風メグミ流気合の入れ方だった。
ところが、いずれも入選通知と入選者の画集が届いたのは展覧会が終了した後だった。いつものんびりしているTIBI展にいたっては、展覧会が終わって半年過ぎた今年の春にやっと届いた。
入選かな、落選かなとドキドキして荷物をほどく。「入選」。それならそれで早く知らせてほしかったなあと口をとがらせて画集を開いた。
なにしろ驚いた。装丁も印刷もデザインもめっぽう良くて、各国の画家ののびやかな個性に感動し、打ちのめされた。
イタリアのときもドイツのときもそうだった。アーティスト一人ひとりの作品が、丁寧に愛情をたっぷりと注がれて編集されていて、なるほど時間がかかるはずだと思った。「心を込めて創ろうと思えば、これくらいの時間はかかりますよ」と言いたそうな画集だった。
私は、穴が開くほど画集を眺めながら、創作の本質を忘れかけていた自分の心を恥じた。大切なものを置き忘れたら、人より遅れても、それを取りにひき返すような、あわてない生き方をしなくちゃと思った。
画集の中の私の絵の紹介文には、小難しいことは何も書かれていなかった。「天真らんまんな子どもの心の表現」と書かれていて、私は素直に「良かった…」と思い、明日もまた絵を描こうと小声で自分に言った。
ある日、私が桜を描いていたら、母が「それ桜のつもり?梅に見えるわ」と言って台所へ行った。ムッとして「どう見たって桜でしょ」と父に問うと「実はわしもな、梅を描いとるんかなあと思っとったんよ」と言って優しく笑った。
さすがに正直な石見人だ。ひょっとしたら、ここが私の一番の修行の場かもしれない。