初出:山陰中央新報いわみ談話室

 苦手な冬が終わった。そして春が来て、やっと百号の絵が数ヶ月がかりでほぼ仕上がった。『ほぼ』というのは、まだ私の手元に置いて少しづつ加筆しながら次の仕事に入るつもりなので。

 四月からは、カレンダーの製作に入る。十四年間続いた東京の信用金庫のカレンダーが終わって以来、他の企業のプレゼンにかみ合わない私を見かねてのことだろう。『うちで作りましょう』と今井美術館の今井館長さんが言ってくださった。うれしかった。
『それならふるさとの絵を…』と申し出た。以前から、大好きな石見の風景、そのイメージを取り入れた絵を描いてみたかったから。
桜江町の桜、石見神楽、江の川、登り窯、温泉津あたりの漁港の風景、有福温泉の古い町並み、アクアスのあのネッシー君みたいな橋も面白いな、など考えればいくらでも石見には描いてみたい場所があるので、取材を楽しみにしている。
母が、早くもあそこがいい、ここがいいと世話をやくのが少々うるさいのだけれど?

そしてもう一つは、島根県の少子化対策のプロジェクトとして、ポスターや子育て支援パスポート、絵本などの絵を担当することになり、いくつかの仕事は既に始まっている。主幹の黒田さん、スタッフの方々の懸命な努力がここ数年続けられてきたと知る。『あのポスターが欲しい、あの絵本が欲しい、と望まれるような、人々の心の奥深くにしみ込んで忘れられないような作品を期待しています』と。ウ〜ン…相当なプレッシャーだ。
黒田さんと私の共通点を見つけた。まずは仕事が好き。そして仕事に関しては頑固。申し訳ありませ〜ん、と言いながら自分の考えを言わずにはいられないところがそっくり。そんなわけでお互いに遠慮なく、長メールなどで話し合いながら仕事を進めている。
楽しいなぁと思う。故郷に深く関わった仕事する度ごとに、ふるさとを益々好きになるから不思議だ。『ふるさと大好き!人が大好き!』という気持ちで絵を描けばきっと伝わるはずと信じて描きたいと思う。

辛い気持ちを抱えている時は何よりも仕事が邪魔だった。何故こんな気持ちで絵を描かなければならないかと泣きながら描いたこともある。でも一番に私を救ってくれたのも、やはり仕事だった。
今年の年度末に中学校で私の仕事について話をする機会があったけれど、『大好きなこと、夢中になれることをひとつほど見つけることが出来たら、どこにいても、何が起きてもくじけずに生きていけるはず』とそれだけを言ったような気がする。
それは私自身にも投げかけた言葉だった。

今年の春ほど、未来への夢を抱いて旅立つ人を見送った年はなかった。残された者の気持ちは何やら重い。
昔、私が勉強したいと言って再びふるさとをあとにした時の両親の気持ちが少しわかる気がした。

今度は私が、みんなに『お帰りなさい』と言ってあげよう。ここで絵を描いて生きていくことに何の迷いもない私として。
2006.4.11