初出:山陰中央新報いわみ談話室

 この前、小学校三年生の女の子七人が、ちびっ子インタビュアーになって訪ねてきて、とても楽しかった。私の絵に登場する人間や動物みんなが主役で脇役がいないということ。それぞれが違う個性を持っているからこそ面白いのだということ。鉛筆一本、紙一枚に至るまで自分の好きなものを探し出す方が自分らしい絵を描けるということ。好きなことを一個見つけてそれをいつか仕事に出来たらいいねということ。その他諸々。これは、女の子たちの好奇心いっぱいの質問に促されて、口からポーンと飛び出た私の言葉だった。正直なところ、へ〜、私そんなことを考えていたん?と思った。

『促される』ということがよくあるんだなぁと感じている。
今年の八月中旬にホームページをオープンした。その中でブログというところがあり、それは何やら日記のようなものらしく、とりあえず、『アトリエからの手紙』という内容にしている。始めてみると予想以上に時間がかかるし、これって何か意義があるのかなぁと迷っていた。
そんなある日、江津市のイメージを取り込んだ絵の下絵を描いていて、その絵のことをブログに書こうとしていたら、子供時代に過ごした曙町の記憶が鮮明に甦ったのだった。ぼんやりとしか覚えていないと思っていたのに。

曙町。私が育った町。両親が『江津の銀座』と呼ばれるほど賑わっていた曙町でガス店を立ちあげた頃の話。思えば小さな商店街に映画館が二つもあった。家の前が映画館で、石原裕次郎と小林旭の看板がいつもかかっていた。もうひとつの映画館は洋画が多かったと思う。父は西部劇が好きだったようで、父の姿が見えない度に母から『あっちの映画館の中を探しておいで』と命じられ、入り口で『あのぉ、お父さんいますか?』と言っては中に入った。暗闇の中でも、父の大きな目はすぐに探し出せた。
父は私と目が合うと、いかにも残念そうに、フゥーとため息をつきながら『もう少しで終わるから』と言って、私を膝に乗せて最後まで見てしまうことが多かった。そのお陰で私は昔の西部劇の一シーンをやたらに覚えている。
それから当時病気で自宅療養していた兄と、一日十円のお子ずかいをもらっては二人でお出かけ。行き先は、駄菓子屋さんかおもちゃ屋さんか本屋さん。
『二人でおつかいかね、エラいねぇ』と、まずはレストランのおばちゃん、花屋さん、鶏肉店、果物屋さん、クリーニング店、素うどんの食堂、洋品店に化粧品店、とにかく、とびっきりの笑顔のおばちゃんたちに声をかけられながらやっと目的地にたどり着いたものだ。

アレレ?私が描く絵とそっくり!曙町は私の夢の町だったのかなぁ?
現在、曙町は、昔のお店が殆どなくなってしまった。
だから、絵の中で夢の町、『曙町』を甦らせよう、と思いついた。

様々な人から、出来事から、そして思い出から促されて絵を描くのかもしれない。いえ、今まで描いてきた絵も全部そうだったのだ。
ブログは、必死に辺りに目を凝らし、感動を探そうとする気持ちには有効かも、と思い直した。
秋深まる中、ゆっくりと、思い出をたどってみようと思う。
2005.11.15