1月30日。竹内幸夫先生が旅立たれた。

山間の小さな高校、川本高校ブラスバンド部を全国一にした名教師であり、
いわみ神楽の研究でも知られた方だった。
2011年の「あったか家族展」のときに、絵を見に来てくださって、
その後、竹内先生の監修で大元神楽の絵本を出版しましょう、
というご依頼を頂き、竹内先生とお話できる機会を得た。

86歳。竹内先生からはワープロで打った手紙を頂き、
また、自身で発行されている「神楽交遊」も送っていただいた。

その中に必ずお手紙を添えてくださるけれど、これが…、なんていうのか、
「こんな手紙を書ける人になりたい」と思うような魅力あるお手紙だった。
難しい言葉は一つも使ってなく、一言一言に味わいがあり、温かさにあふれていた。

初めて頂いた手紙には、「佐々木さんは手強い」と書いてあり、
「私は私の神楽経験全てを佐々木さんに伝えます。私は風変わりな男なのでご用心ください」と
ユーモアにあふれた言葉で締めくくってあった。
私は私で「仕事においてはわりあいしつこい性格ですので、ご用心ください」とお返事したりして。

川本高校ブラスバンド部を全国一に。音楽専門の先生ならわかるけれど、数学の先生なのだ。
何故、全国一に出来たか。「負けん気」それのみ…と聞いた。

その先生から「私の神楽経験全てを佐々木さんに伝えます」と言われ、
本当のことを言えば、緊張の極みだった。

竹内先生の神楽の本を昨年の夏、本気で読み出して驚いた。
読めば読むほど興味深くなり、面白くてわかりやすい。
神楽について先生は「神楽経験」という表現をよく使っておられたけれど、
確かにご自身で太鼓も叩かれ(名手で、太鼓の作曲もされていた)、
とりわけ大元神楽への誇りと想いが強い。

私の机の右側の引き出しは、竹内先生の手紙でいっぱいになった。
一通たりとも失くせない貴重なお手紙であり、絵本を作る時の大切な資料ともなり、
引き出しはまさに宝箱となった。

昨年の暮れ、暮れと言っても本当に大晦日に近い暮れだった。

竹内先生からの手紙。
「前祝いとして神楽通信の中に佐々木さんの絵本のことを紹介したいので、
ラフスケッチを数枚送ってほしい」ということが書いてあった。
そのときに、「先日の大元神楽の時は、体調を崩して心配をおかけしたけれど、もう大丈夫です」
と書いてあったので安心していた。なんだか、暮れだろうとお正月だろうと、竹内先生の心には
神楽のことがいっぱい詰まっていたのかなと、胸が熱くなる。

昨年11月17日から18日の朝にかけて、6年に1度の大元神楽が奉納された。
この日に取材に行った。竹内先生は体調を崩され、夜中1時から少しだけ太鼓を叩かれると聞いた。

風邪を引かれたということだった。その夜中の1時。
先生は、体調が悪いと思えないほど、軽快に太鼓を叩いておられた。
まるでジャズを思わせる軽快なバチさばきだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大元神楽は実際に見ると(体験すると)、本当に特殊だということを実感する。
何故、ここまで独特な神楽が山間の小さな町に存在しているのか興味がわいてくる。

竹内先生の本を読めばわかるけれど、先生ご自身の語り口でお聞きすることを楽しみにしていた。

年が明けて、この1月に竹内先生が旅立たれるとは想像もしなかった。

「がんばって」と背中を押してくださる大きな存在を失った気がして寂しくて仕方がなかった。
ほんとうに、内面からにじみ出る雰囲気がとても素敵な先生だった。

絵本は必ず完成して見てもらいます。
こういうとき、私は結構、意志が強いんです。
先生、力を貸してください、とお願いした。

竹内先生のご冥福をお祈り致します。

 

佐々木恵未