今夜は集中して絵を描けた。こんな時の夜明けはひときわ清々しく感じる。この集中というものがなかなか複雑で、完全な静寂が良かったり、お気に入りの曲が後ろで流れている方が良かったり。嬉しい事があったからといって楽しく描けるという事でもないし、悲しいことがあるから描けないという事でもない。この頃は押尾コータローのギターの音色が仕事中は特に心地よく感じるけれど、本当に集中出来ている時は、その曲の存在すら感じない。嬉しいも悲しいもなく、まるで海の底にいたような感じになれる時だ。ところが、困ったことにそんな集中力が宿る瞬間はめったにやってこない。

福波小学校の生徒たちと以前約束をした『私の好きなもの、私の夢』というテーマの絵が届いた。教頭先生や担当の先生、生徒のお母さんがその絵を持ってアトリエを訪ねて下さったけれど、話そこそこにみんなの絵の素晴らしさにクギヅケになった。
楽しい!面白い!そして夢がちゃんとあった。ちゃんと、というのは、10歳くらいにもなると、君の夢はこのくらい?と少し心配になる絵も少なくないからだ。
嬉しいのは渡された紙よりももっと大きい紙に描いている子どもが多かった事。すごいすごい!伸びやかで子どもならではの発想の絵がズラリ!
全部で何枚あるだろう?一点一点に感想を書いて送り返す約束をしたから、みんな楽しみに待ってくれているだろうなぁ〜。だから今日から少しづつ、感想を心込めて書かなくちゃと思い、それがしばらくの間の私の楽しみになりそうだ。

校長先生、教頭先生、担当の先生や父兄の方々も一緒に参加して下さり、それがまた意外にも?楽しい絵ばかりなのでビックリ!
さらに教頭先生が自身の子ども時代の絵も持参して下さったのだけど、これがまたいい絵だった。
描く事が大好きという気持ちが伝わってくるその絵は、一枚一枚洋服の柄までも丁寧に描写されているためにその時代がよくわかる。そして、ただただ家族と布団を並べて寝ている絵、あるいはお母さんと買い物に行ったときの絵なのに、幸せな気持ちにあふれているということに気がついた。
夢を描くということは想像の世界を描くということだけではなくて、本人の日常の中にもある、ということを今更ながら思い知った。子どもなら大人には発想出来ない世界をのびやかに想像して描いて欲しいという気持ちが間違っていたとは言わないけれど、子どもの本当の幸福というものはこんなところにあると、いえ、あるべきだとも感じた。

そんな絵の数々がそばにあり、そのせいで今夜はひときわ集中出来たのかな、なんて思う。
私のライバルは夢中で絵を描いていた子ども時代の私自身ということか…。
よ〜し、負けるもんか!?