畑のサクランボの花がパッと咲いた。コートが要らない春がすぐそこまで来ている。

2月の中旬のことだった。イギリスから手紙が届いた。以前に、このブログでも紹介した、ディー先生からだと思った。ここ1、2年、手紙を出しても返事が来なかったから、『よかった!ディー先生お元気だったんだ』と思い、ホッとしながら手紙を手に取った。が、それはディー先生の娘のギルさんとニックさんからだった。『父は数年前からパーキンソン病にかかり、とても悲しいことですが、もうあなたに手紙を書くことも出来ないほど衰弱してしまいました。』と書いてあった。私の父と同じ病気…。あの頃を思い出した。恰幅が良く、いつもお洒落で私の自慢だった父が少しづつ衰えていく姿をそばで見ていなければならない辛さ、切なさを。ギルさんたちも同じ辛さを味わっておられるはず…。

私の英語は下手なうえに、動揺して一向にお見舞い文が書けない。今回だけは英語が堪能なFさんに英訳してもらおうと、私の手紙文を送った。すぐに見事な英訳文が届いた。その手紙と以前に送った童画集を再び同封し、今年のカレンダーも入れてイギリスに送った。けれど、一週間前、ギルさんから知らせが届く。『めぐみさん。あなたの絵本やカレンダーを父に見せることが出来ませんでした。父は2月19日に亡くなりました。父は、あなたに特別な友情を抱いておりました。あなたの絵が届くたび大喜びで、カレンダーは1年が終わると私にプレゼントしてくれたので、私の仕事場(小児科病棟)に飾りました。子どもたちもあなたの絵を気に入ってとても喜びました。そして、あのような絵を描かれるあなたに大変な誇りを持っていました。私たちも同様です。これからも交際を続けましょう。いつかイギリスに来て下さい』と。

実際、3度しか会っていないディー先生なのに、悲しくて悲しくて仕方がなかった。1度目は私が27年前に、銀座で初個展をした時。当時、ケンブリッジ大学の学長として、講演会のために来日しておられた。その合間に銀座を散歩中、たまたま私の個展会場に入って来られたのだった。最終日に再び来られた時は通訳の女性と一緒だった。そして数年後には、来日していたディー先生とイギリス大使館でティーパーティーを楽しんだ。貴重な思い出…。私のつたない数行の手紙には、いつも絵本かカレンダーかを同封したけれど、そのたびに何枚もの便箋に、どれだけ感激したか、嬉しかったかということを書いて返信して下さるのだ。手紙を読むたびに、私はどんなに勇気づいたことだろう。
『こんな無名な絵描きを応援して下さって、うれしいです。』と言うと、『自分が好きだと思った絵を描く作家を応援するのは人間として当たり前です』とおっしゃった言葉が今も忘れられない。
こうして、優しく温かな心でそっと見守っていてくれた存在が次から次にいなくなっていく。強くなれと自分に言い聞かせても、胸が塞がってしまって苦しい。

ディー先生、ありがとうございました。どうぞやすらかに…。
ディー先生から教わった大切なことの数々。決して忘れません。
(写真はディー先生が晩年、娘のギルさんたちと暮らしていたDEVONという
地方。丘と港の美しさで有名なところだ。いつかお墓参りに行きたいと思う)