この猛暑で夏に強かったはずの私がバテてしまった。
身体がだるくて仕方がなくて、50号の絵がとてつもなく大きく見える。テレビを付ければ聞きたくないニュースばかり。殺人に、地震災害、水の事故。新聞を見るのも勇気が要る事態だ。そんな中で久しぶりに胸打たれるニュースを聞いた。

清原和博と桑田真澄。(敬称を省きます)清原が膝の軟骨移植手術をして、一軍に上がる前に、桑田のボールを打ってみたいと願い、桑田はその日のために必死で投げ込みをしたという。桑田は「今日の最後の一球は一生の思い出になった」と言っていた。
何という厚い友情だろう。最近「番長」なんてあり得ないあだ名を付けられている清原だけれど、私は昔から人情派の清原が好きだった。

私の野球好きは阪神時代の田渕のファンになった事から始まった。ピッチャー江夏のボールを受ける時の田渕が一番好きだった。
縦縞のユニフォームがとても似合い、キャチャーフライを取る時に、マスクを外すとイケメンの顔が!それよりもネクストバッターボックスで打順を待つ時の立ち姿が静かで、いかにもホームランを打ちそうな雰囲気を放ち、素敵だった。田渕が引退して寂しいなと思っていた頃に、清原が西武入りしたと記憶しているけど違うかなあ?

とにかく西武球場には智ちゃんとよく通った。
ある日は、喫茶店にいたら清原が入ってきて、びっくりした。今を逃したら一生サインなんてもらえないわよという言葉にその気になってしまって、勇気を出してサインなんてもらっちゃった!

彼が繊細な神経の持ち主だという事は実際に球場に見に行けばよく分かる。彼ほど野球が好きでひたむきな選手はいないのでは?と思う。長い試合で、守りの時、一瞬も気を抜かないでいたのは清原だけだった。打席では自分の打順はまだまだ遠いというのに待ちきれない様子で早々と素振りを始めていた。

そんなわけで、清原選手が活躍していた頃はよく野球を見ていたけれど、休んでからは不思議なくらいに野球に興味を失ってしまった。それだけではなくて野球がつまらなくなっていたから。後の楽しみは清原、桑田がそれぞれ監督になって戦う時だわ、と思っていた。

ところが桑田が大リーグに挑戦した時に、もう引退しようかと考えていた清原が、もう一度元気を出して、膝の手術に踏み切った。桑田はとうとう引退を決意したけれど、清原が再起した時にはバッチングピッチャーをやると公言していた。こういう話に弱いんだなあ〜私。嫌なニュースばかりだったから、救われるようなエピソードだった。

清原が復帰したら、また野球を見るもんね!清原頑張れ!