うちの裏庭に自生のフジの花が、杉の切り株に巻き付いて、まるで大きな日傘のような格好で咲いている。その横には、10年前に東京から母の日に送った2株ばかりのあじさいが増えて大きくなって、咲くのはまだかまだかと待ちわびている様子。毎年、母の日の2週間くらい前から、うちの母は『母の日には食事をごちそうしてね』とか『ミニ胡蝶蘭がほしいな』とか言ってうるさいうるさい。友達の智ちゃんの母上も同じタイプなので、智ちゃんと『だまって静かに待っている心境になれないかしらねぇ』と笑う。

父がいなくなってから、正真正銘母一人娘一人の生活になってしまったけれど、
そりゃ世話やきの母から一日くらい解放されたいもんね。私は機嫌良く、『お母さん、温泉に行くなら費用をお手伝いしましょか〜』と言った。『ホント?ウレシイな、ありがとう!』と母は遠慮なくそれを受け取り、ホクホク顔で出かけた。
半日後、の〜んびりとゆ〜ったりとお茶を飲んでいたら『ごめんくださ〜い』と誰やら…。
『あの、お母さんがお財布を落とされましてね。持ってきておきました』とタクシーの運転手さん!
たまげる。どうやったら、小銭でこんなに重くなったお財布を落とせるの?
運転手さんは特別親切な方で、そして、たまたま母をご存知だったからこうして家まで届けて下さったものの、都会ならこうはいかんわ。一体なにしてんねん!
母からは全く連絡無し。おおかた友達からお金を借りたのだろう。電話すれば娘から何とののしられるか分からないし。

余談だけれど、私は小倉遊亀さんの絵が大好きで、『径』という絵、そして『娘』という絵には特別に魅かれている。『娘』は、母親が自分の娘をここまで勝ち気そうに描くものかな、と思わず笑ってしまう。母と娘、そんなものだと私は思う。どこかの製薬会社のコマーシャルのように頭痛の母親に『どうしたの?お母さん、大丈夫?』なんて優しい言葉をかけるなんてことはめったにない。
うちの母に、もし絵心があったなら、我が娘をこんな風に勝ち気そうに描くだろうなぁと思って噴き出してしまうのだ。

で、翌日母は無事に帰ってきた。
『お母さん、誰にお金を借りたん?』と聞くと『ヘッ?』と驚いた顔をした。
タクシーの中に落としたことは確認していたらしいけれど、まさかすでに家に届けてあるとは思っていなかったようで。娘に知られないようにそっと電話をするつもりらしかった。母があんまりタマゲタ顔をしたもので、おかしくて何も言わずにいたら、母いわく『普通ならお財布を落としたら出てこんよ。行く前にさんざんお父さんと話したから、やっぱりお母さんにはご加護があったんよねえ。』

何でもいい方に受け取るのは私も同じ。これは我が家の伝統だろう。
たった一泊だというのによくそこまでおみやげ話があるなあと思うほど、母は私にしゃべっていたので疲れが出たのだろう。私がプレゼントに買っておいた小さな花束に気がつかずに寝てしまった。やれやれ。私も疲れました!