月光荘画材店。

なんと懐かしい名前だろう。

先日、美術の先生をしている友人とおしゃべりしていたときに、
彼女からふいに「月光荘画材店」という名前が出てびっくりした。

「え?どうして月光荘画材店を知っているの?」という私の質問に、
彼女が説明を終える前に、わたしは一気に「月光荘」について演説してしまった!

忘れていたわけではなく、むしろ、いつも月光荘画材店は、私の身近にあった。

私が26歳の時だから、まあ、30年前…かな。

24歳の頃からたてつづけだった。絵でわりあい大きな賞をもらったのが…。ところが、
一向に仕事が来る気配が無く、悶々としていたときに、
恩師から「いくら入賞しても、人に知ってもらう努力をしなければ仕事は来ないですよ」と言われたことで、
出版社周りをする勇気など絶対に持てなかった私は、「これは個展をするしかない」と思ったのだ。
単純思考と言うか、個展をするなら「銀座」がいいと思い、私は当時、江津市に帰っていたけれど、
思い立ったら、という感じでたちまち上京した。個展をするための画廊を探して、毎日ヘトヘトになりながら歩いていた。

銀座8丁目当たり。ビルの外を螺旋階段が登り。中二階にその画廊があった。

蔦がからまるヨーロッパスタイルの素敵な画廊だった。名前が「月光荘別館」
「素敵!ここに決めた!」と一人で勝手に決めて、画廊主と交渉して、
私の人生初の個展をそこですることにしたのだった。

それで…少しずつ思い出すのだけれど、個展の期間中、
ずっと、ひとりのおじいちゃんが画廊に上がって来られた。

そのたびに、「あんたの絵は、色彩感覚が素晴らしい。そして素朴だ。
会場にバラの花など飾ってはダメ。もし飾るのなら、野原で摘んで来たような花を。
この個展会場の隅から隅までが、あなたのものなんだから、こだわりなさい。
額縁も、もっともっと素朴なものがいい。」

ある日はひとりで、ある日は人を連れて、とにかく熱心に私の絵を見てくださるのだ。
そのおじいちゃん、実は地下一階にある「月光荘画材店」の創始者で名物おじいちゃんだと聞いた。
個展が終了しても、そのおじいちゃんとの文通が数年間続いた。
ある日「しっぽに白い長い毛が生えた亀の絵を描いてほしい」との手紙が来た。
あの幸運のシンボルとされた亀のことだ。その絵を描いて送ったら、
「月光荘画材店オリジナル水彩絵の具」がお礼に贈られて来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私はもったいなくて、あまり使わず、そのまま部屋においていた。
オイルがしみ出して、もう使えないけれど、その絵の具を見るたびに、
懐かしく思い出していたのだった。ホルンのマーク。
まだしっかりと絵の具の上に存在感を示している。

そこへ、友人から「月光荘のコーヒー」という名前が飛び出したからびっくり。
月光荘内にコーヒーを飲める喫茶があり、そのコーヒー豆を浜田市の雑貨店が仕入れているそうだ。
「つまり、まだ、月光荘は、銀座にあるわけね!」

私はその晩、すぐに検索した。あったあった、お洒落なお店で、画材のひとつひとつもお洒落でもって…。
今では、そのおじいちゃんの娘さんが跡を継いで経営しておられるらしい。

ネット社会に少し反発を覚えながら、今度ほど、ネットに感謝したことはなかった。

ホームページに創始者のおじいちゃん、橋本兵藏さん(お客様から「月光荘おじさん」と呼ばれていました)の写真が。
そうそう、こんな、やんちゃな、優しそうな、頑固そうな、お茶目な感じのおじいちゃんだった!
しばらく、涙が出そうな感じで見入っていた。

ホームページを読み進むと、
「与謝野晶子さんにかわいがられ、月光荘という名前も与謝野晶子さんに名付けていただいたもの…」
という説明があった。

あの名物おじいちゃんは与謝野晶子さんにかわいがられ……もう〜、すごい!

今度、上京したら、是非尋ねてみたい。

今、会いたかった。生意気盛りのあの頃じゃなくて。
今なら、しつこいくらい質問して、いろんなことを教わっただろうに。
若いって、自分がどうやって生きていくかに必死すぎて、余裕がないから。

別に、今、余裕があるわけじゃないけれど、昔より、少しはましになってないだろうか?
いろんな人にお世話になって今があるのだと改めて思う。