なでしこジャパンの大活躍で、日本中が少し明るい気持ちになったと思ったら、またゲリラ豪雨で被害。日本中、何度も何度も。胸が締め付けられる。

そのニュースを見ていたら、江津市学校教育課から、「給食車3台が納入されましたから見に来てください」と電話をいただき、見に行って来た。3台並ぶと…、にぎやか〜!!二学期に間に合って良かったですね、と言いながら、記念写真を撮っていただいたり、みんなで撮ったり。子どもたちが喜んでくれるといいけれど。心配って尽きない。

友人の横田さんが、縫製会社にお勤めだけれど、児童、生徒たちの給食着の発注を受けて嬉しかったとおっしゃっていた。給食着か…、懐かしい〜!!
私が子どもだった時はそういえば、ミルクは脱脂粉乳。固いぱさぱさのコッペパンがついて。モンクを言ってはいけないけれど、最近雑誌で見るママ手作りの可愛いお弁当なんて、夢のようで。その脱脂粉乳のミルク、毎回、鼻をつまんで飲んでいた。

中学、高校時代も、母のお弁当は、ず〜っと、卵焼きとウインナー。黄色と赤と海苔の深緑色。その三色だった。母は忙しかったから無理も無く、同級生のお弁当もまた大概そんなものだった。中には親が忙しいからと自分でお弁当に詰めてくる友だちもいっぱいいたし。それで、みんな、育ち盛り。お腹がすいて、学校で唯一許可されていた「高角食堂」で、大判焼きやミルクセーキを片手に果てしなくおしゃべリをして。ちょうど、朝の連続ドラマ「おひさま」に出てくる「飴屋さん」みたいな感じのお店。「大判焼き」「かき氷」「ミルクセーキ」「素うどん」が名物で、夫婦二人の小さなお店だった。喫茶店は保護者無しでは入ってはいけない時代。そんなお育ち?だから、初めて上京したときに「ウインナーコーヒー」というのが何なのかさっぱり分からなかった。

みんな、勉強そっちのけでよく遊んだ。
このまえも友だちと話したけれど、どの大人もみんな忙しくて、そうそうかまってはもらえなかったけど、「ただいま〜」と言って帰れば必ず「お帰り」と言ってくれる母親、あるいは父親が居てくれたよね、と。一人で夕食を食べるなんてことは無かった。今は、食材にもこだわり、おいしい給食が注目されている。大切なことだと思う。ちゃんとした味覚を養うのは。

だけど、精神的には昭和の時代、恵まれていたのかも。たとえ、脱脂粉乳の時代でも。