朝6時30分。うすい日差しが窓から差し込んで、とてもきれいだったので、思わず外に出てみた。久しぶりの朝の散歩。寝起きのテツ(うちの13歳になる犬)を散歩に誘った。
春芽が出ている木や花がいっぱい。ひどく寒い日が続いたというのに、くじけずによく頑張ったのね、と毎年のことながら感心する。

(写真は、左上からツタンカーメンの豆。睡蓮池の土手に植えておいたら、すくすくと育ったネコヤナギ。今年少し元気がなくて心配なロウバイ。左下は白い髭がチラチラのうちの犬のテッちゃん。サクランボの木。そしておいしいからと毎年引っ張りだこの夏みかんの木。)

来週、江津中学と青陵中学で『生き方』というテーマで話をすることになった。
ただ絵だけを描いて生きてきただけで、人生経験が偏っている?私が、『生き方』について生徒たちに話すなんて、遠慮すればよかったと今も心臓が苦しい。

生き方や人生はあの木々たち、花たちから教わった方がいいのになぁと思う。
与えられた自分の道をたくましく、そして黙々と歩いているのだから。

私が生徒たちに何か話すとしたら、やはり『生きる力』ということしかないかもしれない。

楽しいとか幸せだとか感じるのはちょっぴりの時間。しんどさが大部分を占めているのが人生というものらしい。思いがけず病気になったり、愛する人を失ったり、昨日まで尊敬していた人に深く失望したり。絶望感に襲われることは誰にでもある。それでもこれが私の人生だと受け入れて、エ〜イ、これしき、負けてなるものかと立ち上がるその強さ、どうしたら持てるのだろうかと考えるのだけど。

どんな状況の中でも、たいがい、すぐそばに愛情を持って見守ってくれている人、必要としてくれている人がひとりはいるものだと思う。苦しいときは気付かないものだけれど、それにちゃんと気付くことが出来たら強くなれるかも。
そして、もうひとつ、大好きな仕事を持っていれば。

辛い時は、仕事が邪魔だった。辛い気持ちで絵なんて描けるものかと思った。でも、辛い心を救ってくれたのも、これまた仕事だった。私にとっては絵を描くという仕事が、その喜びが私の生きる力、耐える力のひとつになっていることは間違いないと思う。絵が全てとは言わないけれど。

前もって用意された生徒たちからの質問事項を確認した。
ヒャッ、ものすごくたくさん!
『自分の心を素直に正直に見つめて、そして自分のいいところを発見して、それから自分を好きになって友達も好きになって、そうこうしているうちに寝食忘れて夢中になれる何かを1コ見つけることが出来たら、たいがい生きて行けるよ。』
そんなことを話そうかなぁ…。あぁ、当日まで心臓がつぶれそう。