私は肩が痛いし、母は足が痛いし、男手がないし、ということで、軒下に柿を吊るす事が出来ないものだから、母が考案。縁側に物干し台を起き、そこに吊るす。でもおいしい干し柿が出来た。これを食べると本格的な冬が近いと感じる。

久しぶりの手紙。
原稿用紙に達筆な字で書いてあるその手紙を何度も読み返している。
1990年から2004年まで太陽信金(旧)のカレンダーの仕事をしたけれど、それをプロデュースして下さっていたデザイン会社、TOCONの社長、佐野さんからの手紙だ。
TOCONが事務所を自主閉鎖したのは、太陽信金が他社と合併し、カレンダーが終了した後、1年ほど過ぎた頃だと思う。
設立されては消えていく広告デザイン会社が多い中でTOCONは60年続いた歴史のある会社だった。銀行の仕事だけをしてきただけに、この時勢を乗り切るための何でもありの仕事はもはやしたくないからという理由で事務所を閉めたと聞く。悲しかった。カレンダーの絵を一人の作家が14年間担当するという例を聞かないと言われるけれど、それはTOCONの並々ならぬ熱意があってこそであり、いくら感謝しても仕切れないのだ。
現役を退くと、みんな手紙一本くれなくなるんだろうね、と淋しそうにおっしゃるので、『いえいえ、ちゃんと手紙を書きますよ』と約束した。ところが、手紙を書いても返事が来るものじゃなく、前に一通の手紙が届いたきりだった。それは私が童画集『みんな大好き!』を発刊した時のもので、
『めぐみ君、素晴らしい画集が出来ました。』と書かれてあった。佐野さんは毒舌家で、からかわれてばかりいたので嬉しかった。『めぐみ君が島根に帰ってから、天気予報というと山陰地方を見てしまいます。』とも書いてあった。若い人なら(失礼?)ラブレターと勘違いしそうな言葉で、清潔なお色気も少々。
佐野さんの片腕だったデザイナーの阿久津さんが『佐野さんの若い頃は飛び抜けてモテたのよ』と言っておられ、それが頷けるほど、何やら純文学作家の風情を漂わせている人なのだ。打ち合わせで銀行に出向く時は『今日はめぐみ君とデートだからな』と言って素敵なスーツ姿で現れ、その変身ぶりに驚いたものだ。

今日戴いた手紙は、先日今井美術館で制作して頂いたカレンダーを送ったので、そのお礼の手紙だった。『よく出来ました』とまるで父親から及第点を貰ったような感じ。さらには、カレンダーを送る時に添えた手紙に、『16年間、TOCONのまあるい大きなテーブルを囲んで、阿久津さん、きいこちゃんとともに、佐野社長の面白いお話を仕事そっちのけで聞いていたあの頃が忘れられません』と書いたのだけど、その思い出のテーブルは小田急ハルクで特注し、経済サイズを無視して作られたもので、椅子はイタリアのデザイナーに寄るものと記憶していると説明してあった。今はボランティア団体に置かれているはずだとも…。あの素敵なテーブルがボランティア団体に?
でも、佐野さんらしい選択だと思った。今頃いろんな人たちがあのテーブルを囲んで楽しい話をしているのだろう。

『なんだ?あんなにおっとりした感覚でよくこの厳しい世界にいるなぁ、と思いきや、めぐみ君のあの気の強さはなんだ?とんだジャジャ馬じゃないか。NO!と言ったらテコでも動かん。あの子は山だ!岩だ!阿久津君、めぐみ君を何とかしろ!』と言った後、『いや、めぐみ君はあれでいい、あれでこそめぐみ君なんだ』とおっしゃったとか。昔、カレンダーの絵の内容でもめたときのひとコマだ。あれから14年は過ぎている。暖かい気持ちで見守って下さった佐野さん、そして間に入って苦労して下さった阿久津さん。
今、感謝の気持ちでいっぱい…。