北林谷栄さんの訃報を知ったとき、胸がきゅんと縮まる感じがした。
北林谷栄さんが珍しくトーク番組に出演されると、そのたびに役柄から受けるイメージとの落差に驚いた。明治生まれの農家のおばあちゃんのイメージとは一変して、当の本人は銀座生まれとあってえらくお洒落。素敵な帽子をかぶり、色白で、パステルカラーのブラウスがよく似合って。自宅書斎での対談を見た時は、煙草をゆっくりとくゆらせながら、いかにもお気に入りと思われる大きな湯のみでお茶をすする様が、そして柔らかく話しながらも、厳しさを漂わせ、キリリと話す様が、知性のかたまりのように見えて、それこそ「メッチャ、カッコイイ!」と思った。
映画「阿弥陀堂だより」は4、5回は見ていると思う。そこで演じられた老女がうちの祖母そっくりだったこともある。ヨイショ!と反動をつけて起き上がる様子とか。座布団をホイッと、お客さんに投げるところとか。さらには情に厚いところとか。その映画を見ると、祖母ともう一度会えている気がした。
5月10日山陰中央新報の記事の中に、矢野誠一さんという方が書かれた北林谷栄さんへの追悼文が掲載されていた。「訃報に触れたとき、青山通りを紫煙をゆらせながらひとり悠然と闊歩してるのを見かけたのを思い出した。青山通りがパリの街角に見えたもので、異数の日本の老婆役者の感性は、すこぶる西洋的だったように思う」とあった。
母と一緒にもう一回阿弥陀堂だよりを見たいと思う。
母と言えば、9日に赤飯を炊いているので「今日は何かお祝い事?」と聞くと
「だって今日は母の日だもん」って。「へ〜、自分で自分にお祝いしてるんだ!」と言うと、「そりゃ、メグミは赤飯などは炊いてはくれないだろうからねえ〜」
確かに、赤飯を母の日に炊くという発想は無かった。ゴメン。
でも、ちゃんと母からはリクエストがあり、ワコールのホームウエアを買っておくれ、と言う。それで、ふたりで買物へ出かけた。考えれば母とふたり揃っての買物は久し振りで、それだけでも母は嬉しいと言ったから、私はずいぶん親不孝をしているなと痛感した。「赤飯がおいしく炊けたから今井館長さんにも持って行ってちょうだい」と言うので夕方に待ち合わせをした。夜遅く「すごくおいしかったわ〜お陰でこちらもいい母の日になりました」と電話を下さる。
改めて、「母さん、いつもありがとう」