3月11日。東日本大震災から一年。テレビは一週間前くらいから特集をしていて、
11日は追悼式があった。みんな、忘れられない日だし。
胸の辺りがつまったような感じになったけれど、やはりテレビを見た。
一歩前へと踏み出した人。まだ立ち直れない人。見ていたら泣けてくる。

だけど「孤独死」という言葉を言い始めたのはいつ頃からなんだろう?

特に大震災以降、「孤独死の人が増えた」とテレビもメディアも伝えるけれど、
その度に嫌な言葉だなあと思っていた。
命あるものは、みんな例外なくどんな死に方をするのか分からない。
最後の亡くなり方が「独り、家で〜」というだけで「孤独死」と決めつける。
まるで、その人の人生が孤独そのものだったような印象付け。その人に失礼だと思う。

「生まれるのも独り、死ぬのも独り、また人と暮らしていても独り」という言葉をよく聞くけれど、
人は「個」だということ。あなたは私ではないし、私はあなたではない。
「個」だということをふまえて他人と接してと生きていくものという意味だと思う。
周りにたくさん人がいたからと言って孤独じゃないとは限らない。
そもそも「孤独」という言葉は人を哀れむ意味ではないんじゃない?

山口美江さんのこともやたらと「孤独死」と報道していた。
島根県の松江市で講演予定があり、従姉妹という女性が翌日には心配して家を尋ねたというのに
どこが孤独死なのかなあ?そういう見出しが人を引きつけるという意図が見える。

人が勝手に他人を「孤独」と決める決め手は何?
孤独か孤独でないか、幸せか幸せでないか、他人が決められないでしょう?

言葉は大きな力を持つから。
勇気づける言葉、傷つける言葉。どちらも大きいから。

震災特集を見ながら、その映像の前で、そんな事を考えていた…。