楽しかった。父の49日の法要が楽しかったと表現する娘は珍しいかもしれないけれど、まぁ、とにかくにぎやかに終わった。
両親は7組の夫婦の仲人をしていて、親戚の他にその夫婦たちに集まってもらった。

この日まで、母はよく頑張った。料理の手配から何から何まで母の企画。それを考える間は、母の気持ちが寂しくならずに済むだろうという私の魂胆でもあったけれど。

集まってくれた夫婦は、この少子化の時代にあって、子だくさんであり、みんないい家庭を築いている。夫たちが父の話を魚にして楽しそうにお酒を酌み交わしている姿を母が嬉しそうに見ていた。母のそばには父の写真。父もさぞかし嬉しかっただろう。
飲んべえさんの夫軍団は、その後、場所を変えてどうやら遅くまで飲んでいたみたいだ。父がみんなの話を満面の笑顔で聞きながら飲んでいる姿が思い出された。

誰もいなくなる。
しんみりするどころか、母はくたびれて、おやすみなさ〜いと、早々と寝てしまった。玄関の鍵を閉めに行くと、同級生の岡田君が励ましのために持ってきてくれたたくさんのシクラメンの花が、さも、おつかれさま!と言ってくれているみたいに私を迎えてくれた。
岡田君は、金城町という山の中で、園芸店を経営している。土から作るこだわりようなので、岡田君のシクラメンは強くひときわ美しいことで有名だ。花一筋で生きればいいのに(オット、余計なお世話?)、この前市会議員にトップ当選を果たした。ことがあってもなくても、岡田治夫君はひょっこり現れてシクラメンをおいて帰ってくれるのだった。

この前、母と、そして母の友達と3人でお茶を飲んだ。

『こうして、母と娘が一緒に暮らすのは幸せなこと。だけど、メグさんの将来のためにも言っておくけど、一方で、孤独もまた棄てたもんじゃないのよ』と母の友達が言った。

孤独もまた棄てたもんじゃないのよ、という言葉に私はすごく共感を覚えた。
なかなかカッコいいじゃん!

だけど、あえて孤独な時間を過ごしても、人は一人で生きているのではないということが前提であることもわかっていた。
人は一人で生きてはいない。
たくさんの人たちからこうして心をプレゼントしてもらいながら生きている。

どんなことにも動じず、無条件にありったけの愛情を注いでくれた父がもういないという喪失感はこれからさらに深くなることだろう。
岡田君のシクラメンを見ながら、寒い玄関を後にする。
孤独もまた棄てたもんじゃないのよ、と言いながら。