来年の春、済生会病院が移築オープンする。その日に間に合わせるべく、絵を仕上げる予定。まだ数ヶ月あるけれど、ちっとも余裕はなくて、この九月中にラフスケッチだけは描き終えておこうと大きなパネルの前に座るのだけれど、私のいつもの絵の中で、江の川が美しく流れる江津市のイメージが何となく感じられたら、という依頼を頭に入れて描き始めると、どうも今の故郷ではなくて私の子ども時代の思い出が甦り、ああ、楽しかったなあと思っては感傷に浸ってしまうから困る。

 曙町。私が育った町だ。  
両親が江津の銀座とあだ名されるほど賑わっていた曙町でガス店を立ち上げた頃の話。合併して会社組織になり、今の実家に戻るまで暮らしたところだけれど、思えば小さな商店街に映画館が二つもあった。うちの前が映画館だった。小林旭と石原裕次郎の看板がいつもかかっていた。もう一つの映画館は洋画専門。父はことさら西部劇が好きだったようで、父の姿が見えないたびに、母から映画館を探せと命じられ、入り口で『あのぉ、お父さんいますか?』と言っては中に入った。父はまたこの娘が来たかぃ、と残念そうな顔をしながら『もうちょっとで終わるから』と言って、私を膝に乗せて最後まで見てしまうことが多かった。そのお陰で私は部分部分ではあるけれど、昔の西部劇の一シーンをやたらに良く知っている。
 それから、当時、病気で自宅療養していた兄と、一日十円のお小遣いをもらっては二人でお出かけ。行き先はもちろん駄菓子屋さんかおもちゃ屋さんか本屋さん。
『二人でおつかいかね、エライねえ』と、まずは花屋のおばちゃん、そして鶏肉店のおばちゃん、果物屋さん、野菜屋さんのおばちゃん、洋品店に化粧品店のおばちゃん、とにかく何人のおばちゃんに声をかけられただろうか。目的地にたどり着くまでのハ〜イという返事が並大抵ではなかった。
 学校から帰れば、ランドセルを置くなり町内の子どもたちと信用金庫の裏の空き地で日がすっかり暮れるまで遊んだ。ブランコも何もない空き地で一体何をして遊んだのだろうと思うけれど、考えたらこの光景、まるで夢の世界だ。幸福感がいっぱい!

 今は、それらのお店は殆ど閉店。飲屋街になっている。駅前再興計画が立てられているらしい。                 
 いっそ、思いきりあの頃を思い出してみよう。その頃の光景を描こう。ふとそう思った。昔を懐かしむ絵ではない。その世界こそが私の絵だと思った。未来に夢を馳せて。ラフスケッチがテンポよく進みそうな気配だ。