ついこの前、睡蓮の一番咲きだぁ〜と騒いでいたら、あっという間に一斉に咲いていた。これからしばらく早朝が楽しみとなる。何しろおひさまが出るか出ないかのすれすれの時間の睡蓮が最も綺麗だから。

アトリエの扉を開けるといい香り。夏みかんの花の甘酸っぱい香りだ。みつばちが朝早くから働いている。そのそばにはこれまたいつのまにか咲いていたスモークツリー。遠くでは母の好きなヤマボウシの花が咲いていた。花たちが、まるで軽やかに譜面を踊る音符のように見える。ヤマボウシはグングン上に伸びて、木の上の方で花が咲いているので手が届かない。カメラを望遠にしないと撮れないほど見上げる大きな木になった。

ああ、長い5月だった。イベントがいくつもあり、緊張の連続の5月だった。
中でも25日は正蓮寺での講話ということで、この私がお寺で、婦人部の方々の前でお話することになったのだ。私の一生にこんなことが起きるなんて、1パーセントも想像していなかった。午前の部と午後の部とあわせて2時間!それはもう緊張の極地。頭ふらふらの状態で出かけた。

五、六年前、まだ若坊守さんのお腹に三人めの赤ちゃんがいる時に絵の依頼をいただき、赤ちゃんが生まれて1歳になった時にやっと完成。今年の童画展ではその絵をお借りした。正蓮寺は桜江町市山にある歴史あるお寺だ。最初に取材に行った時、裏山に登ってみた。後ろ側から見る古い書院造りが珍しく、風格があった。お寺の後ろ姿がなんだか父親の大きな背中に見えた。その背中越しに市山の古めかしい町が伸びやかに広がっていた。
後ろから描いてもいいですか?と問うと『佐々木さんの好きなように描いて下さい』と。普通は正面から描くべきなのに、申し訳なかったという思いも残っているけれど、正蓮寺のご家族の本当に暖かい雰囲気とお寺の後ろ姿がダブってしまったのだった。
絵が仕上がった時には、その書院の中の風が吹きぬけるようなさわやか一室で、お茶を頂いた。母も一緒だったけれど、そこに桜江町のもと町長さんご夫妻がみえて、長い時間いろんなことを話した。こうして、絵を通じてまた人と出会えたのだった。
浄土真宗の教えによく『出会う』と言う言葉がでてくるけれど、今回は私にとっての『出会い』の話をすることになった。

絵を描いて生きていきたいと決めてから30年が経つ。結構長い。素敵な方々との出会いが無ければ今の私は無いと断言出来る。それを振り返り、改めて感謝する気持をかみしめたことは私にとって良かったと思う。

なんと言っていいか、とにかく終わった。ホッとしてその夜は地の底に引きずり込まれるように爆睡した。さあ、たまっている仕事をしなくっちゃ、なんだけど。ファイト!