『テツが待っとるよ。早く起きてやりんさい』
毎日母がそういって私を起こした。

11月10日早朝。テツが急に吐いた。
高齢犬は、秋口に突然体調を崩すことがあると医師から説明を受けた。尿毒症を起こしていると聞き、耳を疑う。昨日まで普通に食事をしていたというのに。

2日間、点滴に通った。医師からもう手の施しようがないと告げられた。

でも、身体が少し落ち着くと、テツはいつものようにいたずらっぽい笑顔を見せた。父の介護時に使ったアイソトニックゼリーを思い出す。あれなら吐かないかもしれない。テツの口元に持って行くと、ペロペロなめだした。吐かない!
30分起きにわずかづつ飲ませると、みるみるテツに元気が戻り、目に力がみなぎった。

13日、元気を取り戻したテツを連れて病院に行くと先生が驚かれた。『奇蹟かもしれない!テッちゃん、すごいな』と。『テツはうんちもおしっこも自分でしましたよ』と言うと、テツの状態から考えられないけれども、とおっしゃった。先生も期待して血液の再検査をして下さる。でも、腎臓の数値は下がっていなかった。

その夜テツの状態が急変。
母と私とで、つきっきりの看病が続いた。私が少しでも動くと追っかけてきて体力を消耗するので、私は部屋から一歩も出られなかった。
そのうちテツは水分をも、いっさい口にしなくなった。
もう虫の息だね、と母と泣いていると、テツが勢い良く起きて、きょとんとした目で私たちを見た。何騒いでるの?といった顔なのだ。
『なんなのよ〜、テツ。驚かせて』と泣き笑いをする。

14日の夜、テツを抱っこして仮眠をとる。
2時間くらい寝たのだろうか。見るとテツがいない。テツは布団から抜け出し、遠くまで歩いて行って、出ないおしっこを出そうとしている。吐こうとして吐けない様子。何故か外の庭をじっと見つめている。そしてまた、歩き続ける。
『テッちゃんがあの状態で歩いたなんて、信じられないことだ』と先生…。

15日。相変わらずテツははぁはぁと苦しい息の中でも私をじっと見つめて笑いかけた。母をみてまた甘えて笑う。
こんなに苦しいのにどうして笑うのテツ。どうして歩こうとするの?テツ。そう言うと、テツは優しい目を向けてまた少し笑った。

夜、テツを抱っこして椅子に座った。
『さぁ、今夜は一晩中ダッコしているからね。離すもんか、テツ』そう言って、ほおずりした。
プリプリッとテツがおならをした。
『この子ったら可愛いらしいおならをしたよ』と母に言いながら
テツの顔を覗き込む。息が聞こえない…。

テツは私に抱かれて死んだ。
『メグ姉ちゃんに抱っこされて逝ったかね、テツ。』と母が声を震わせて言ったとたん、私はオオカミのように泣いた。何日も何日も泣き続けた。狂ってしまいそうだった。
可愛そうな事をしてしまったという思い。喪失感。おそろしく凄まじい。

テツは相当なやんちゃ坊主で、私が出かけようとすると、ボク、ついて行くんだから!とあの手この手で訴えたから、よほどの遠出でない限り、テツを車に乗せた。

『一日中、めぐみを瞬きもせずにじっと見つめていたテツの、あの何とも言えない可愛い顔を思い出すと悲しくなる』と母が言う。

テツは特別だった。
愛おしくて可愛くてたまらなかった。
赤ちゃんのテツがよちよちと私の足下に近づいてきた時から。

最後まで歩こうとして最後まで笑顔を見せたテツの姿。
私の腕の中でグッタリして重くなったテツの感触が辛く残る。

5ミリほど短くなった私の右手小指。テツに噛まれたのだ。テツと暮らした証しとしては、これは強烈だねと苦笑い。

さぁ、テツ。どんなに淋しくても、生きて、そして絵を描かなければね。
手のひらに残る幸せを母と一緒にしっかりと握りしめて暮らしていかなければ。

再び、背筋を伸ばす私を、テツ、冷たいと思うなかれ。

平成5年2月生まれ。平成18年11月15日没。13歳と9ヶ月。
アトリエが見える裏山に眠る。テツの絵を描いた。それを墓標とする。

(テツはカメラを向けると必ず目を背けた。テツが一番きれいだった頃の写真。携帯電話のカメラでやっと撮れた正面の写真。白い髭のおじいちゃんになったテツの写真。エリザベスカラーをちっとも嫌がらず、母の膝ではしゃいでいるおきゃんなテツの写真。それを見ながら遠慮なく話しかける。テツ、大好きだよと。)