ヤマボウシの花やスモークツリーが咲いた頃は、いくらなんでもストーブは使わなくなっていたと思うけれど、夜中はまだ肌寒い。かと言って灯油がもう無いから、電気膝掛けで我慢している。

最近、ふわふわ黒毛の子猫が、アトリエと母屋の通路のところで、寝ている。雨はしのげるし、わりと安全だし、いいところを見つけるものだなって感じ。子猫ちゃんは人間で言えば、まだ幼稚園児くらいなのに、どうやら親は子育て放棄。子猫ちゃん、昼間はどこかで遊んで夕方になると帰ってきて通路の定位置にちょこんと座ってすやすやと寝ているのだ。アトリエは一晩中明かりがついているから心強いのかもしれない。ひとりで、虫をとって食べているみたいだし。えらいなあ、小さいのに。というわけで、母と相談して、ごはんを置いておこうか、ということにした。小さな命。「ここに居させて」と子猫ちゃんから言われているのに?放っておくわけにはいかなくなった。このまえ、またキツネを見た。コンコンと鳴くのではなくて、キエ〜キャァ〜と鳴くことがわかった。キツネに襲われたりしたら可愛そうだし。「いいよ、ここをお家にしても」ということにした。

ハワイの童話集の絵を仕上げて、柏村印刷の室濱さんと坂根さんに託したとたんに、ホッとしたのか、腰痛、肩痛、ジンマシンがいっぺんに襲ってきた。もしかしたら今までで一番緊張した仕事だったかもしれない。
この童話集。そもそもが、父の病室から始まる。父の病室の隣に知り合いのおばあちゃんが入院してこられた。おばあちゃんの長男である牛尾さんという方が、一ヶ月に一度、鎌倉から見舞いに帰ってこられていた。牛尾さんが私の絵本をお持ちだという話から、母が私の童画集「みんな大好き!」をプレゼントした。その牛尾さんが、ある日ご夫妻でハワイに行かれて、そこで知り合った、白籏さんという女性から「ハワイの民話、童話集を出したいのですが、日本人の絵描きの人をご存じないですか?」と聞かれて、牛尾さんが、私の童画集を後にハワイに送って下さったことが始まり。そして、横浜に住む古屋さんという方が絵を気に入られ、ハワイの本の発行者になりますということで、電話をしてこられたわけで。全ての仕事には、出会いがあるけれど、島根→鎌倉→ハワイ→横浜→島根と、縁が世界旅行をしたということにビックリした。こういうこともあるのですぅ〜。

依頼を受けたのはもう一年以上前になるけれど、なかなか取りかかれなくて、昨年の10月からやっと少しずつ動き出した。いざ、始めてみると、難問題が山積みだった。先住民のマヒナおばあちゃんの語り聞かせを白籏さんが長年取材をしてこられ、それを自身の童話と一緒にして本を出したいという内容。口伝えの文化だから、考えたら、資料が無いのだった。どんなに探しても皆無に近いほど無かった。ハワイ在住の白籏さんでさえ、資料を用意出来ないほどだった。火山の女神ペレさまってどんな風?フラの神さまって?宗教観は?古代ハワイにはどんな花が咲いていたの?古代ハワイの住居は?普段通りの自由な発想で描いて下さいと言われても、私はずいぶん頭を抱えたのだった。一点一点が緊張の連続。途中で、これはもう私では無理ではないかと落ち込んだりもした。でも、のびのびと想像を働かせてと自分にいい聞かせながら、なんとかフィニッシュした時、少し達成感のような感情を味わった。どんな仕事も後悔はつきもの。今までも、これは完璧だったと思った仕事なんて無いし。でも、難局を少し乗り越えたような気持があって少し気持がいい。こういうところが私の脳天気なところかなあ?

今は、室濱さんや坂根さんたちが予算の中で、どうやっていい印刷をして素敵な本にしようかと、検討をくり返して頑張って下さっている。7月初旬に発行予定だけれど、楽しみなような心配なような。娘を嫁に出すような気持ってこんな感じかなあ?(代々口伝えで受け継がれてきた物語だけに、文の内容、生き生きしています!)

それにしても、母は庭作りをよく頑張っていると思う。母は本当にターシャテューダーをお手本にしていて、先日横田さんから頂いたテューダーのカレンダーをよく眺めている。こんな色どりを真似したいんよねと。本人にはなかなか言えないけれど、私は母の伸びやかな感覚が好きなのだ。花も少なすぎず多すぎず、おおらかな風景だから。
「お母さん、今、うちの庭、絶好調ね」と言うと、母が大喜びしたけれど、まわりののびやかな風景が無ければ、私はとっくに精神的に参っていただろうと思う。感謝の日々…。