九月ともなると、深夜、鳴き競っていた虫の音が、ずいぶん上品な感じになって風情を漂わせている。どういうわけで、上品になるのだろうか。風情はあるけれど、アトリエの戸を開けたとたんに、ムカデが落ちてくるわ、ヤモリを踏みつけそうになるわ、なかなかスリル満点で暮らしている。ヤモリと言えば、人間がそばを通った時、死んだ振りをすることに気がついた。 
 うわ!ヤモリの死骸だ!と思って、恐々ちり取りを持ってくると、姿が跡形もなかったことが数回あるので、そうか、死んだ振りをするのかと思ったのだけれど。みんなそれぞれ生き抜くための工夫をしているのが面白い。

 一日過ぎるごとに日が短くなってきている。秋が創り出す色彩は大好きで、特にうちの畑の向こうに見えるイチョウの葉が、緑色から少しづつ黄色になっていくさまを見るのが楽しみ。でも、秋になりかけの今は、あぁ、今年もまたあまり仕事をしなかったかなあとシュンとしてしまう苦手な季節なのだ。殆ど毎日アトリエに入り、ちゃんと描いているのに、何しろ一点を仕上げるのに大変な時間を費やすものだから、ワタクシガンバリマシタ!という実感がないのが原因か?

 『何だか焦りますよねぇ』と言ったら、『エッ?焦る?
何事にも焦らないのが、めぐみさんの一番いいところだから、焦っちゃダメよ』と言ったのは、私のゆっくりにすっかり慣れてしまったらしい今井美術館館長の今井さんだった。そうか、焦らないのが私のいいところか、と思ったら急に気持ちが楽になった。

 そういえば、今年、時間をかけて仕上げた絵がある。
『お寺の春』というタイトルの百号の絵。 
 数年前、桜江町市山にある正蓮寺というお寺を目指して車を走らせていた。人が歩いていないし、何だか淋しげなところ…と思いながら、市山方面という看板のところで右折すると、急に町が開けていた。お店も役場も昭和初期という感じ。キツネにつままれた気分だった。
やっと正蓮寺に着く。満開のサツキや色とりどりの花、そして正蓮寺のご家族の花にも負けない優しい笑顔が降り注いできた。お寺は、時々は修復されているものの、三百年前の書院造りがそのまま大切に保存されている。お寺の裏側から見たその書院造りの素敵なことといったら!『お寺の裏側から描いていいですか?』と申し出た。普通は正面の立派な門から描くべきだけれど、快く承諾してくださった。絵を依頼された時、まだ若奥さんのお腹にいた男の子が、元気に生まれ、元気に育っていた。仕上げるまでに、それだけの時間がかかってしまったけれど、楽しい絵が描けたのではないかと自負している。 
 秋になれば、桜江町辺りは夢のような秋色で染まる。
また行ってみたいなと思う。

 そこは、守ろうと思って意気込んで守られてきた風景ではなくて、人々がごく自然に暮らし、ありのままに残っている風景だと感じている。みんな愛しているのだ、故郷を。暮らす町を。

 私も、大好き!私が暮らすこの故郷が。