6月23日は、とても思い出深い一日となった。

公道流 吟道島根県吟詠連盟創立50周年紀年公演にゲスト出演をして、
ナントカ無事に終えることが出来た。私が詩吟を詠うのではなくて〜。

詩吟の名手として有名な濱村一城先生。出会いはかれこれ平成18年にさかのぼる。

平成18年のお正月開けに父が旅立った。
母と二人、7年間介護をした。最後の一年間は病院にずっと入院していた。
昼間は母が付き添い、夜は私が父のそばにいた。
毎日欠かさず病院へ行っていたけれど、
1月5日、大雪が降ったため父のところへ行くのを取りやめた。
その夜、父が突然旅立ったのだ。

どういうこと?どう受け止めていいかわからず、涙も出ず、ぼんやりした日々がしばらく続いた。
49日法要の時だっただろうか…覚えていないけれど、
父の法名の中に「香樹」という文字を見つけて
「御院家さん、香樹とは、どういう意味ですか?」と尋ねたら
「その人はいなくなっても香りは残るという意味だよ」と教えてくださった。
父の香りとは、人の心を温かくする日だまりのような言葉、
それこそが父の香りだと思った。そう思うと、気持ちが少し軽くなった。

 

ある日、山陰中央新報のいわみ談話室というエッセイのページに
父の旅立ちのことを書いた。エッセイが掲載された数日後、
濱村一城先生からお手紙を頂いたのだった。
私のエッセイに感動し、思わず漢詩を作りました、ということだった。
私は詩吟とは縁がないけれど、詩吟を少し習っていた母が手紙の名前を見て驚いた。
「え?濱村先生。声は素晴らしいし、男前だし、お母さんの憧れの先生よ!
おいそれと口も聞けないようなえらい先生なんよ」と。

その手紙には、「香樹」というタイトルで漢詩が添えられていた。

 

香樹

 

佐々保姫駆野山

木精促醒往林間

惠音幽響眠森奥

未偶樵歌香樹閑

 

(通訳)春を司る女神を助けて山野をかけめぐり、
木の魂の目覚めを促しに林の中を往く。
恵を告げる穏やかな音は眠りの森深くにかすかに響き、
未だ人影にも遇わず香樹は森閑として立っている

その手紙を読んで号泣したことを、今も覚えている。

今回、紀年誌の表紙絵を依頼され、喜んでお引き受して描いたけれど、
第二部で、その時の漢詩を詩吟で詠うことになったということで、驚いた。

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驚いただけなら良かったけれど、私も出演?することになり、
23日が来るまで落ち着かない日々を過ごした。
濱村先生のお弟子さんの三浦さんが司会(私へのインタビュアー)ということで、
何度か打ち合わせしたけれど、三浦さんも私も決して話し上手ではない(三浦さん、ごめんなさい)から、
正直、どうなるやらと思っていた。

その三浦さん、本番では(ほんとうについこの前までの三浦さん?)と疑うほど、
大丈夫ですよ、どうにかなりますよ、恵未さん、ついてきてくださいね、という感じの
柔らかい素敵な笑顔で目の前に立っておられて、その笑顔につられて
私の心臓のドキリが奇跡的に止まった…ような感じがした。
こんなことがあるのです!!

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で、ステージは詩吟の名手揃いだから、心に迫り、
聞いているうちに涙があふれそうになって困った。本当に素敵だった。

私のすぐ後ろで詠っておられた女性がまた、仕事をいつも一緒にしている
山陰中央新報のOさんのおばさまだと知り、また驚いたり、
山奥から出ると目を白黒することばかりだった。

第二部のメインはシンガーソングライターの毛利治郎さんの
ステージだった。歌詞が心にしみ、歌声は一晩中歌っていても
枯れないような伸びやかな美声で、ステージがあっという間に終わってしまった感じがした。

夕方から打ち上げ会があり、参加させていただいた。
詩吟の名手、舞の名手ぞろいの打ち上げ会。ステージでは芸達者な方が
歌ったり踊ったり。

その中に混じり、「五番街のマリー」歌っちゃいました。じぇじぇ!!